佐久五稜郭

国道299号線が4月20日にようやく開通しました。早速麦草峠の白駒の池から八ヶ岳を横断して佐久平経由で千曲の我が家への通勤路とすることができるようになりました。途中で寄り道して今年3月31日に閉校した五稜郭を有する龍岡城内にある田口小学校へ地域の文化と教育の歴史を訪ねてみました。
少子化問題
少子化における問題は近年様々な社会現象を起こしています。中でも影響の大きい教育環境問題が子供たちに直結しています。その一つに学校の統合が全国的に見られます。今春佐久市臼田地区では臼田・田口・青沼・切原小学校の4校が統合して新臼田小学校に生まれ変わりました。今、国では「こどもまんなか社会」のこども大綱を作成中とのことですが早急にできるのを願うばかりです。

新臼田小学校
新臼田小学校の開校式4月11日の際に校歌「いつも希望はここにある」を作詞した松井五郎さん(安全地帯・V6などへの作詞)、作曲は森山良子さん(この広い野原いっぱい・涙そうそうの作曲)のお二人がサプライズ出席されました。その時の児童たちの驚きと喜びようは計り知れません。その歓喜の声と感謝の拍手はいつまでも鳴り止むことが無かったのです。子供たちにとって生涯忘れることのない素晴らしい思い出のひとつになることでしょう。
この校歌は佐久の豊かな自然をとらえ「ひらりそよぐ風」「さらさ流る川」「きらり跳ねる星」の歌詞が織り込まれ6百人の児童が松井さん・森山さんと一緒に希望いっぱいに胸を膨らませ星のように目を輝かせて合唱したのです。この4校の児童たちは閉校した母校の悲しみを乗り超え未来に向かって頑張るという希望を体いっぱいに表現して歌う姿に保護者をはじめこの地域の人々は児童たちから改めて希望と勇気をもらったに違いありません。

宇宙飛行士

この地域の出身の先輩、宇宙航空研究開発機構(JAXA)所属の油井亀美也さんが夢と希望を貫き毛利衛・若田光一・向井千秋さんらと日本でも数少ない宇宙飛行士の一人となり見事宇宙へと羽ばたいたのです。このようにこの地域ではあの雄大で偉大な八ヶ岳の峰々を背景に希望に強い信念と憧れを抱き希望という心の拠り所を求め続ける子供たちにとって大切なかけがえのない地域なのです。希望はたくさんの学びからやがて新しい未来を切り開く力に、そして次の一歩を踏み出す力になることでしょう。

臼田の巨大パラボラアンテナ

この臼田にはJAXAの日本最大の直径64メートルという深宇宙探査用大型アンテナ(パラボラアンテナ)があります。地球から遠く離れた深宇宙の惑星探査機の追跡に活躍し「はやぶさ」「かぐや」にも貢献しました。
ここのアンテナで多くの観測・探査・電波・信号の解析等のなかの研究の一つで宇宙から到達する様々な膨大な無数の電波や信号を定期的に地球へ問いかけてくる電波や信号に対して分析解析することによっていつかは宇宙語と会話ができるようにと可能性と希望をもっての研究も続けているとのことです。

龍岡城の五稜郭

では4つの統合したうちの一つ田口小学校があった龍岡城の五稜郭の歴史について迫ってみましょう。田野口藩主の大給恒が江戸時代の終わり1867年(慶応3年)に築城しました。五稜郭は日本には函館とこの龍岡城の二つしかありません。この城郭の星形をした五角形は外敵に対する攻防に優れた城郭でその石垣も場所によってそれぞれの石積み方法が工夫され異なっていることにも注目してみましょう。
大給恒はフランス語も堪能でこの五稜郭はフランスの城から参考にしているといわれています。そして明治政府においても活躍し現在の日本赤十字社の創設者としても有名です。また同世代のあの勝海舟とも交流が深かかったのです。同じく信州松代出身の佐久間象山の奥さんは勝海舟の妹なのです。このように信州の人々は日本の近代化に大いに貢献したのですが、せっかく造った龍岡城が明治になるといつまでも藩主体の日本ではいけないという新政府の廃藩置県政策からでしょうか取り壊されてしまうのです。

田口小学校

小学校・中学・高校の学校制度は1872年(明治5年)の学制交布により田口地区にも新しい次世代を担う子供たちを育てたいという地域の人々の強い希望や支援により田口小学校が誕生したのです。
その後小学校はお城が取り壊された五稜郭の中へと移転されることになり以後150年もの輝かしい歴史が今日まで続くことになったのです。
長い間鎖国をしていた日本が世界へと開国し近代化の日本へ進むなかで大給恒や佐久間象山らの功績によって世界と地域を結ぶ文化と教育をこの信州にもたらせたのです。そんな誇りある所の一つがここの学び舎、田口小学校なのです。
田口小学校閉校後、佐久市教育委員会は当時の龍岡城にできる限り近い状態に復元し誰にでも愛される地域の文化・教育・歴史のある城跡公園として整備していくとの計画です。このように日本に二つしかない佐久五稜郭へ文化や歴史の向学と見聞を兼ねて訪れてはいかがでしょうか。私たち自身が訪れることによってそれぞれ「さらに何か己の希望への一歩」に思いが強まると思われます。

新臼田小学校の校歌

いつも希望はここにある
作詞 松井五郎  作曲 森山良子

一、ひらりひらりそよぐ風が           二、ひとりひとり違う
さらさ流る(ながる)川が            選ぶ道の彼方
目覚めた朝新しいと               心ふれるあたたかさを
教えてくれる                  教えてくれる
空に空に伸ばす手で               白い白いそのページ
握りしめた夢の種                描いていく物語
いつも希望はここにある             いつも希望はここにある

三、きらり跳ねる星が
凛と咲いた花が
命はただただ美しいと
教えてくれる
いまをいまを生きている
胸の鼓動(おと)を抱きしめて
いつも希望はここにある
いつも希望はここにある

さくら 桜 サクラ

4月も中旬になり 蓼科もいよいよシーズン開幕です。
今年の八ヶ岳山麓は例年よりも早く桜の花の見ごろを迎えました。

ほんのひとときの桜 美しい花の儚さの象徴 我が国きっての美人女神
「さくら」の名の由来ともいわれる「木花咲(開)耶姫 -このはなさくやひめ-」は、山の神様でもあります。

今シーズンの山の安全をお祈りして参りました。

風に揺れる桜を眺めながら 美しい女神様がやさしく微笑んでくれている姿を想い浮かべてたりなんかしてみると、花見もさらに幸せな気分になるものです。

聖光寺入口の桜も咲きはじめました。境内はまだこれから楽しめそうです。

ちなみに、
聖光寺の道向かいにあるハム・ソーセージのお店「ザ・ババリアン・ペータータテシナ」さん。メディアでもしばしば紹介されるこの名店のベーコンやソーセージは、桜の木を使って桜の甘い香りでスモークされてるそうですよ。

お店では愉快なマスターが試食もさせてくれますので、桜見物にお越しの際はぜひお立ち寄りいただき、こちらの「桜」の香りも楽しんでみてください。

<余談>
馬肉の隠語「サクラ」
桜の季節は脂がのっておいしいから「サクラ」というのは本当なのでしょうか?
信州に来たら必ず馬刺しを食べるという方も多いですよね。

蓼科はまだ桜の季節です。遊びにお越しくださいませ。

春うららか

四月となりました。
春の陽気の心地良さを日々感じます。
・・・同時に花粉症の辛さも感じていますが。
今日はビレッジ内で春の訪れを探してみました。
先ずは

壇香梅(だんこうばい)が道脇から、単色の木々に控えめながら彩りを添えています。

次にビレッジ入口前の桜です。

蕾がだいぶほころび、花が顔を出すまでもう一歩です。