登山ブームの八ヶ岳
登山ブーム最盛期には中央線茅野駅の週末は八ヶ岳登山への大きなザックを背負った登山者で大変な賑わいでした。また蓼科高原では登山者を迎え入れる宿が民宿村といわれるほど数多く存在していました。それに伴い山小屋でも多くの登山者のための資材・食料品を全て人によって運び上げるいわゆる強力(ごうりき)・歩荷(ぼっか)も多く見られました。
時代が経つとともに八ヶ岳も観光化が進み道路の開通や整備拡幅、駐車場の完備により登山口までマイカーで容易に行けるようになりました。高原の散策や簡単な日帰り登山が可能になり便利な車社会になった反面民宿は次第に数を減らしていきました。
車社会になって気軽に美しい蓼科高原の景色を見に訪れたり、日帰り登山(弾丸登山)だけでは物足りず、蓼科高原で保養を兼ねてゆっくり寛ぎたいという自然愛好家が山荘を持ちたいと思うようになり、そこから山荘ブームが始まり今や1万軒を超えるようになりました。
映画関係者
そんななかいち早く高原の清々しい空気と佳境の蓼科高原や八ヶ岳の魅力にとりつかれた映画関係の文化人が現れたのです。
映画関係者には小津安二郎(監督)・野田高梧(脚本家)・新藤兼人(監督)・今村昌平(監督)それに伴って俳優の佐田啓二・笠智衆・東山千栄子・原節子・乙羽信子・杉村春子ら多くの文化人が蓼科高原を訪れ山荘を持つようにもなったのです。小津安二郎生誕120年の今年も9月23日から10月1日にかけて第26回「小津安二郎記念 蓼科高原映画祭」が特別企画を交えて盛大に開かれました。今でもロケ地について諏訪湖・蓼科高原・八ヶ岳周辺に毎年多数問い合わせがあるとのこと。
ロケ地
今年のベネチア国際映画祭で一躍脚光を浴びた濵口竜介監督「悪は存在しない」は豊かな自然の環境を守るという内容で八ヶ岳山麓の富士見町と原村がロケ地。以前スタッフのブログの中でも紹介されたNHKドラマ「ピンぼけの家族」は唯一家族が写った一枚の写真がピンぼけしていたことにまつわるエピソードで藤森慎吾も登場するロケ地は諏訪湖が舞台。新海監督「君の名は。」は高校生の男女二人が夢の中で入れ替わり幻想の世界に入り込む。やがて夢の世界から目が覚め現実に戻った二人は出逢いお互いに「君の名は。」と尋ね合い確かめ合う青春アニメ。その一コマには諏訪湖に夕日が映える絶景地立石公園がロケ地。など映画の大舞台は蓼科高原の笹丸平・プール平・滝の湯川エリアから端を発しているのです。その数々のドラマを生み出した名作の舞台である発祥地を「小津安二郎記念 蓼科高原映画祭」を機会に散歩してみようと思います。
新・雲呼荘
蓼科ビレッジから歩くこと5分ほどの所にある笹丸平の小津安二郎と野田高梧が
一緒に蓼科でシナリオを作成し名作を世に送り続けた過程を綴った貴重な日本映画史の資料「蓼科日記」18巻が保存・公開されている「新・雲呼荘」へ静かで大きな木々に囲まれた散歩道へと足を進めます。「新・雲呼荘」は落ち着いた林の中にいかにも「雲呼荘」の名前の如く山が雲を呼び、雲が人を呼ぶような雰囲気のある所でした。さらに先へ進み信州大学高原研究所前を流れる大河原堰の木橋を渡るとそこには小高い丘に大きな木が現れます。小津氏と野田氏がよく気分転換に出かけたという通称1本桜または小津桜という有名な桜の大木です。また映画が完成すると監督・出演俳優とともに訪れ全員で蓼科山や八ヶ岳を眺めながら完成を祝った場所でもあるといわれています。そんな著名人がこよなく愛した同じ場所に自分が今ここにこうしていると思うと感慨無量です。
新藤兼人監督の山荘
1本桜から小津の散歩道に沿って進み佐田啓二(中井貴恵・中井貴一)の山荘と小津安二郎新山荘建設予定地で一休み。次に映画の重要な場面にも登場した新藤監督の山荘を見学します。山荘の玄関には「しんどう」「天空庵」という往時そのままの表札が掛っており新藤監督と乙羽信子が過ごした由緒ある山荘を現実に実感することができました。さらにこの笹丸平に現存している信玄の棒道古道を通ってプール平の無藝荘へと散歩は続きます。(そういえば20数年前八ヶ岳登山に来た時プール平で買い物をしていると中井貴恵さんが無藝荘の前で出版した本を紹介し販売していた記憶があります。)今年の第26回映画祭には特別ご来場ゲストとして小津安二郎最後の作品「秋刀魚の味」を朗読されました。
小津安二郎監督と無藝荘
無藝荘とは諏訪の片倉山荘を小津監督が借りて山荘名を無藝荘と名付け脚本の執筆と映画関係者との交流の場にした建物です。巨匠小津安二郎監督の作品には秋日和・晩春・東京物語・彼岸花・東京暮色・秋刀魚の味など数多くの作品があります。さらに戦争と向き合った作品で上田市も舞台となった「父ありき」は終戦直後GHQに没収され第二の国歌といわれた「海ゆかば」をはじめ戦争にからんだ場面はすべて抹消されてしまいました。が、小津安二郎生誕120年の今年抹消された部分がようやく復元され復活の運びとなりました。小津監督の作品の多くは家族の姿を通して親と子、家族の絆の神髄について描がかれています。その代表的な作品のひとつが東京物語です。
東京物語
年老いた両親が楽しみにしていた子供たちのいる東京へ出かけるのですが行ってみると長男・長女は仕事の忙しさで両親をあまり歓迎しないばかりか迷惑そうな素振り。そのなかでひとり亡くなった次男の嫁さんだけが優しく迎えてくれたのがせめてもの救いでした。上京したのはいいがそんな子供たちとの心のすれ違いに何か寂しさを感じたのと疲れのせいか母親は体調を崩し亡くなってしまいます。残された年老いた父親はひとり寂しく、苦労して育てた家族とは何なのかと塞ぎ込むようになります。だがやがて家族はそれぞれ自分の人生を精いっぱい頑張っているのだと気が付くと父親は己の人生を静かに受け入れ穏やかな日々を過ごしていくのです。当時の社会状況を家族の日常の中に映し出したこの作品を通して今日の私たちの家族にも少なからず当てはまるものがあり自分自身「どきっ」と思い当たることもあります。家族の絆、親と子、老いと死、そして最後に家族の大切さについて改めて考えさせられる作品です。
新藤兼人監督と滝の湯川
映画「午後の遺言状」の原作・脚本・監督を手掛けた新藤兼人作品のラストシーンをこの無藝荘から急斜面の渓谷を降りたところに流れる水清らかな水流がまぶしい清流の撮影地である名作の舞台の一つとなった滝の湯川へ行ってみます。
新藤監督の作品は「小津安二郎記念 蓼科高原映画祭」において度々上映されこの「午後の遺言状」もその作品の一つです。
午後の遺言状
杉村春子にとって最後の主演映画であり新藤監督の妻乙羽信子の遺作映画でもあるのです。別荘の高齢女優の持ち主蓉子(杉村春子)と管理人豊子(乙羽信子)とその娘のストーリー。今年も蓼科高原へ避暑に来た蓉子は豊子からある日突然娘は蓉子の亡くなった夫との間の子であると告白されるのであった。あまりにも唐突の打ち明け話に信じられないものの動揺する蓉子はなり振り構わず激しく豊子を責め立てるのでした。
だがふと自分のいままでの人生を振り返るとあまりにも女優業一辺倒で家庭を顧みることが無かった自分への後悔と家族に対する申し訳なさを感じるのであった。だがその娘が夫にどこか似ていると思と次第に気持ちが和み何か親しみも覚え可愛がるのです。その時折しも蓉子の古からの友人の老夫婦が亡くなったとの訃報が入り深い悲しみに暮れるのです。
命の尊さ
突然の娘の存在と突然の友人の死に遭遇した「生と死」。そんなひと夏の蓼科山荘を後に東京へ帰る蓉子なのですが、この場面がこの映画のタイトル「午後の遺言状」のクライマックスになるのです。帰り際夕日が傾きかけた日の午後、蓉子は「もう高齢だからこの先のことは分からない、死んだら棺桶にこの石で釘を打って蓋をして欲しい、また娘のこともお願い」との遺言めいた内容で豊子に石を手渡すのです。だが豊子は蓉子には「娘のためにも私よりずっと長生きをして欲しい」と訳のわからない意味深の言葉を残して預かった形見ともいえる大切な小石を橋の上から渾身の力を込めて川へ投げ捨て泣き崩れてしまいます・・・。そのラストシーンは私たちに命の尊さの余韻を残してフィナーレを迎えます。
名作の舞台裏
事実、映画「午後の遺言状」は乙羽信子にとって遺作映画になったのです。この映画が完成するのを待って間もなく新藤監督の妻乙羽信子は亡くなってしまいます。現実に先輩の杉村春子より早く亡くなり、直近の「午後の遺言状」で共演した杉村春子は二人の思い出が錯綜するなかで悲しみに耐えきれず人目をはばかることなく号泣してしまいます。乙羽信子は命短い自分の死を予期しながらも最後まで女優としての熱演には深い感銘を受けます。その自分の死に対する思いとストーリーの中の蓉子の遺言への払拭を重ねたその気持ちを小石に託しこの滝の湯川へ病弱の身で最後の力をふりしぼって投げ捨てたものと思われます。そんな妻の心情を分かっていた夫の兼人は「午後の遺言状」で妻への最後の贐(はなむけ)として憧れの大女優杉村春子と一緒に共演させてあげたのです。その監督でもあり夫でもある新藤兼人の悲愴な舞台裏の計らいには察するものがあります。
命輝く滝の湯川
その思いがこもった印象的なラストシ-ンの滝の湯川は八ヶ岳から湧き出し今日も蓼科高原の生命溢れる光をいっぱいに浴びながら当時と変わらずに何事もなかったかのように流れ続けている命輝く清流に宝塚の女優乙羽信子を思い出さずにはいられません。隣にいた観光客も目に涙を浮かべながらそっと手を合わせていた姿が印象的でした。
文化育む蓼科高原
人間の直面する永遠の課題「生と死」。そして生きることへの意義を問いかける新藤監督の作品ですが「生きている限り、精いっぱい生き抜きたい」という新藤監督のメッセージは諏訪市中洲出身の作家平林たい子の作品を貫いている信念「私は生きる」にも共通しているように思えます。このように蓉子(杉村春子)と豊子(乙羽信子)からストーリーの中での命と現実での命の尊さを教えてくれた名作「午後の遺言状」(新藤兼人)の舞台を造り出したこの私たちのビレッジが立地している偉大な舞台である大自然の蓼科高原は今なお小津安二郎・野田高梧とともに私たちを魅了させる映画という文化を刻み続けているのです。そんな映画の魅惑の世界に誘われながら「小津安二郎記念 蓼科高原映画祭」に因んで「名作の舞台を散歩」することができ得難い貴重な体験ができた感激の一日でした。